「新潟県中越地震」その後2

両親経由で長岡市に住む親戚のその後の様子が、少しずつ分かってきた。



前にも書いた通り、またその後も、親戚一同皆、命に別状なく、また怪我・病気の者も
いないとの事に、とにかく安心する。
どうやら親戚達が住む町は、長岡市の西に位置する場所で、そこは南や東に比べると
比較的被害が小さかった所らしい。
加えて、父親の親戚は、地盤がしっかりしていた小高い土地に家があった。
裏に竹薮もあるような所だ。
また古い家ではあるが、雪国の家の特徴として、柱が太くしっかりしている。
そのため、あんな強い地震にあっても家はどっしり建っていて、傾く事はなかった。

戸が外れたり、窓ガラスが割れたりする程度で済んだらしい。
ボランティアの人達が、外れた戸を直し、散らばったガラスや物を片付けに来てくれて、
やっと家の中に居られるようになったという。

余震がひどく停電中の地震直後の2日間は、車の中で寝泊りしたが、
3日目に電気がついてからは、いつでも飛び出せるように注意しながら、
家の中に入って寝たという。

ガスはプロパンで、井戸から水も汲め、煮炊きが出来た。

母親の親戚も(同じ町)、同様だったらしい。違ったのは、最初の2日間は小学校の
避難所に行っていた事だけだ。

数日前から、(東京にいる)父親の親戚の孫が、車で迂回路を通り、何とか祖父母の家までたどり着き、色々手伝っているらしい。
東京の両親や叔父達も、交通の状態がもう少し良くなれば、行って様子を見て来る
という話である。
両親の電話で聞く限りでは、親戚達はもう今の段階では、特に差し迫った困り事や
不自由な事はないらしい。

ある親戚は、長岡市の山の方で養鶏場を営んでいる。
父が電話で鶏の様子を聞くと、
「鶏は、まあ何とかなっているが、買ったばかりの高い『自動餌やり機』が壊れてしまって、泣くに泣けないよ。また一から出直しだ」と言っていたそうだ。
父は「命あっての物種だからな」と慰めたらしい。

「追記」
長岡の親戚からは、いつも「魚沼産こしひかり」の新米や「良寛の里・手まりうどん」(腰があって最高にうまい)を両親経由で頂いている。何年か前に起こった、米不足騒ぎの時は、いち早く東京の親戚達の所に、どっさりお米が送られてきた。実は今年も貰った「新米」を食べている矢先の地震だった。
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by riro11 | 2004-11-02 17:47 | 嘆息


花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ      (by イノキ)


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