「神様」や「センセイの鞄」について。BY川上弘美

「神様」、といってもくまの神様なのだそうだ。

「くまにさそわれて散歩に出る」という出だしにドッキンとさせられ、
「川原に行くのである」という続きにうならされた。
まるで童話の世界の中にいるように、話がすいすい進むのだけど、「わたし」が、
こんな非現実的な事態にあっても、あくまでも現実の自分がいつもするような、
まっとうな受け答えをして、まっとうに考える所が、何だかうれしい。



私も夢の中で、これは夢だとはっきり自覚していながら、なぜかいつも
「夢の中ならではの大胆な行動」に踏み切れない。
次々と訪れる不可解な出来事に、一生懸命、リアルの自分の思考判断で対応しようと
する、この小心さ。そんな自分と似た行動をとる「わたし」に、とっても好感を持つ。
 
このくまは、くまだけど、断然一緒にいて心地よさそうだ。
そうなのだ。くまだろうが壷の中の女(by「クリスマス」)だろうが蛇(by「蛇を踏む」)だろうが、近所の少年(by「星の光は昔の光」)だろうが、一緒にいて心地よければ、それでいいんだ、と川上弘美さんは言っている(ように思える)。

「センセイの鞄」で、38才の月子さんは、70過ぎのセンセイに友情を覚え、それがだんだんと愛情に発展していく。月子さんにしたって、同級生の小島君の方が世間の通りも良いし、彼だって相当にいい人なんだから、普通の女性はその辺で手を打って結婚でも何でもしちゃうというのに、なぜ、センセイなのか?

それは、ある種の人間よりくまの方が一緒にいて心地よいという事実がある。という事だと思う。
会いたくてたまらない時に偶然ばったり会えたり、自分の食べたいものを一緒に美味しがって食べてくれたり、たびたび頭をなでてくれる人は、代え難い人なのだ。
そんな貴重な人はなかなかいない。だから月子さんは悩んで悩んで、結局センセイのところに行ってしまう。

自分に心地よい人間関係は、人目がどうであろうとも、自分が良いと感じるもので良いのだ。

「神様」の中の「星の光は昔の光」のえび男くんと「わたし」の関係もそう。
独身女性の主人公と近所の少年えび男君の間に、あまり共通点はない。えび男君は
机やみかんを見ながら、学校であった事なんかをとぎれとぎれに話しているのだから。
でも、「わたし」はえび男君が来なくなってから、えび男君のために買っておいたチョコウエハースがしけってしまう間も、ずっと待っている。そんな関係。

ラストの所で、泣いたえび男君の手をつないで、2人で歌を歌う所がいい。
大変だったんだね、などど簡単に口に出さない関係がいい。

・・・・・・
以上「神様」「センセイの鞄」を読んだ感想です。
文庫になった今頃読んで、これ、いいなあとしみじみ感じています。
[PR]
by riro11 | 2005-01-11 22:19 | 激奨


花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ      (by イノキ)


by riro11

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリ

通知
爆笑
激奨
風趣
歓喜
嘆息
苦笑
痛快
感涙
DQⅨ
超個人的

以前の記事

2014年 12月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2013年 12月
more...

PROFILE

大学院生男子、大学生女子の母
首都圏在住  

MY SITE
壱番館:
「普通の専業主婦だって、文句があるさ!」

タグ

検索

人気ジャンル

画像一覧